「秋葉原事件」加藤智大被告が「黒子のバスケ」脅迫事件に見解表明!(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース


賢いのだなぁ。
佐世保の同級生殺人もそうだけれど、
極端な事を起こす犯罪者は賢い。
酒鬼薔薇も賢そう。



その「浮遊霊」に関してですが、それは渡邊氏独自の言葉ではありますが、表現が独特であるだけで、その中身は人間の普遍的な心理です。私の言葉なら「社会との接点を失った孤立状態」ですが、それでもまだ通じないのかもしれません。世の中でよく使われる言葉だと「人とのつながり」「絆」「かけがいのないもの」「誰かの役に立てること」などを失うということになるでしょうか。それらを全て失うことがどれほどの精神的苦痛であるのかは、失った経験がある人にしかわかりません。渡邊氏もそうだったようですが、私も、孤立した際には自殺を考えました。「AだがBすればCになる」と考えましょう。孤立しているのが苦痛だが自殺すればもう苦しまずに済む、のであり、だから自殺を考えるのです。社会との接点を失って孤立状態になる「浮遊霊」化は、自殺という手段を用いてでも逃れたい極限の苦痛なのです。
しかし、渡邊氏も私も、結局は自殺していません。どうしてでしょうか。ヘタレだから、などと言われそうですが、それはただの人格否定の中傷でしかありません。もっと真面目に考えて下さい。「AだがBすればCになる」のです。孤立が苦痛だがBすれば苦痛から解放されるのであり、苦痛から逃れられる手段になり得る行動Bは、自殺だけではありません。最も根本的な対応をするなら、孤立が苦痛でも、孤立を解消すれば苦痛から解放されます。
では、孤立を解消するにはどうしたらいいのでしょうか。無理矢理に社会との接点を作ればいいのです。渡邊氏の言葉では「つながりの糸を仮設する」ということです。その接点(糸)については、私は「質より量」でした。「マンガ家を目指そうとして挫折した負け組」などといった設定で社会との接点を維持していた渡邊氏も、おそらくそうだと思います。余談ですが、逆に「量より質」でたった1本の「つながりの糸」に固執し、自分の全てをかけるのがストーカーというものです。