Keith Jarrett紀尾井ホール


職場を1630に抜けだして四ツ谷へ。
初めてキースのライブを聴く。
コンサートというよりは、宗教的な儀式のようだった。


キースという預言者、巫女が、神にお伺いを立て、
その信託を得て奏でるMusic.
(実際にキースのコンサートの最初の曲は、
決して開かない岩盤でできた扉を苦心して開こうとしている、
そんな風景が目に浮かぶ曲が多い。今日もそうだった。)


そして、信託が得られると、神が降臨し、
自由奔放な美しいのMusicが奏でられる。


しかし、この時にルールがひとつだけある。
決して、人間が居てはイケナイ。
観客はその気配を完全に消し去らねばならず、
物音ひとつ立てることも許されない。
(実際に、数日前の大阪公演では、
観客の態度で、うまくいかなかったようだ。)
どことなく、自然を楽しむ時に人間が居ては、
意識が削がれて集中出来ない、という事例に似ていなくもない。
今日も、2,3曲目は、観客の咳、椅子の音で、
演奏が終了してしまったように感じた。


一方で、前半部のラスト2曲と後半部は、観客の気配が最小限に抑制され、
キースが預言者、巫女として、十分に機能していたように思う。
後半は、特に素晴らしい演奏で、アンコール後の
公演終了アナウンスが、観客の拍手で聞き取れなかった程だ。
キースもある程度、満足していたのか、
演奏終了後に両手を合わせることが多かった。


気配を消さねばならない観客が消費するエネルギーも相当のものだが、
このような預言者、巫女、的な役割で演奏しているキースは、
いったいどれだけのエネルギーを消費しなければならないのだろうか。


キースは、かなりの高齢なので、あと何度、この儀式に立ち会えるのか、
定かではない。が、今日の演奏を聴いて、また、出来うる限り参加したいとおもった。


やはり、ケルンコンサートを聴けた聴衆が羨まく思う。

ザ・ケルン・コンサート

ザ・ケルン・コンサート