[Asahi]


集団的自衛権の行使を認めた閣議決定(全文)
2014年7月1日20時12分

 1日開かれた臨時閣議閣議決定は次の通り。




     ◇

 国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について

2014年7月1日

国家安全保障会議決定

閣議決定

 我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守(じゅんしゅ)しながら、国際社会や国際連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している。こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない。

 一方、日本国憲法の施行から67年となる今日までの間に、我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している。国際連合憲章が理想として掲げたいわゆる正規の「国連軍」は実現のめどが立っていないことに加え、冷戦終結後の四半世紀だけをとっても、グローバルなパワーバランスの変化、技術革新の急速な進展、大量破壊兵器弾道ミサイルの開発及び拡散、国際テロなどの脅威により、アジア太平洋地域において問題や緊張が生み出されるとともに、脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。さらに、近年では、海洋、宇宙空間、サイバー空間に対する自由なアクセス及びその活用を妨げるリスクが拡散し深刻化している。もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。

 政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすためには、まず、十分な体制をもって力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、国際法にのっとって行動し、法の支配を重視することにより、紛争の平和的な解決を図らなければならない。

 さらに、我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。

 5月15日に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から報告書が提出され、同日に安倍内閣総理大臣が記者会見で表明した基本的方向性に基づき、これまで与党において協議を重ね、政府としても検討を進めてきた。今般、与党協議の結果に基づき、政府として、以下の基本方針に従って、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な国内法制を速やかに整備することとする。

 1 武力攻撃に至らない侵害への対処

 (1)我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることを考慮すれば、純然たる平時でも有事でもない事態が生じやすく、これにより更に重大な事態に至りかねないリスクを有している。こうした武力攻撃に至らない侵害に際し、警察機関と自衛隊を含む関係機関が基本的な役割分担を前提として、より緊密に協力し、いかなる不法行為に対しても切れ目のない十分な対応を確保するための態勢を整備することが一層重要な課題となっている。

 (2)具体的には、こうした様々な不法行為に対処するため、警察や海上保安庁などの関係機関が、それぞれの任務と権限に応じて緊密に協力して対応するとの基本方針の下、各々(おのおの)の対応能力を向上させ、情報共有を含む連携を強化し、具体的な対応要領の検討や整備を行い、命令発出手続を迅速化するとともに、各種の演習や訓練を充実させるなど、各般の分野における必要な取組を一層強化することとする。

 (3)このうち、手続の迅速化については、離島の周辺地域等において外部から武力攻撃に至らない侵害が発生し、近傍に警察力が存在しない場合や警察機関が直ちに対応できない場合(武装集団の所持する武器等のために対応できない場合を含む。)の対応において、治安出動や海上における警備行動を発令するための関連規定の適用関係についてあらかじめ十分に検討し、関係機関において共通の認識を確立しておくとともに、手続を経ている間に、不法行為による被害が拡大することがないよう、状況に応じた早期の下令や手続の迅速化のための方策について具体的に検討することとする。

 (4)さらに、我が国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊に対して攻撃が発生し、それが状況によっては武力攻撃にまで拡大していくような事態においても、自衛隊と米軍が緊密に連携して切れ目のない対応をすることが、我が国の安全の確保にとっても重要である。自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第95条による武器等防護のための「武器の使用」の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米国の要請又(また)は同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法第95条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の「武器の使用」を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。

 2 国際社会の平和と安定への一層の貢献

 (1)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」

 ア いわゆる後方支援と言われる支援活動それ自体は、「武力の行使」に当たらない活動である。例えば、国際の平和及び安全が脅かされ、国際社会が国際連合安全保障理事会決議に基づいて一致団結して対応するようなときに、我が国が当該決議に基づき正当な「武力の行使」を行う他国軍隊に対してこうした支援活動を行うことが必要な場合がある。一方、憲法第9条との関係で、我が国による支援活動については、他国の「武力の行使と一体化」することにより、我が国自身が憲法の下で認められない「武力の行使」を行ったとの法的評価を受けることがないよう、これまでの法律においては、活動の地域を「後方地域」や、いわゆる「非戦闘地域」に限定するなどの法律上の枠組みを設定し、「武力の行使との一体化」の問題が生じないようにしてきた。

 イ こうした法律上の枠組みの下でも、自衛隊は、各種の支援活動を着実に積み重ね、我が国に対する期待と信頼は高まっている。安全保障環境が更に大きく変化する中で、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために、自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である。また、このような活動をこれまで以上に支障なくできるようにすることは、我が国の平和及び安全の確保の観点からも極めて重要である。

 ウ 政府としては、いわゆる「武力の行使との一体化」論それ自体は前提とした上で、その議論の積み重ねを踏まえつつ、これまでの自衛隊の活動の実経験、国際連合の集団安全保障措置の実態等を勘案して、従来の「後方地域」あるいはいわゆる「非戦闘地域」といった自衛隊が活動する範囲をおよそ一体化の問題が生じない地域に一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所で実施する補給、輸送などの我が国の支援活動については、当該他国の「武力の行使と一体化」するものではないという認識を基本とした以下の考え方に立って、我が国の安全の確保や国際社会の平和と安定のために活動する他国軍隊に対して、必要な支援活動を実施できるようにするための法整備を進めることとする。

 (ア)我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。

 (イ)仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する。

 (2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用

 ア 我が国は、これまで必要な法整備を行い、過去20年以上にわたり、国際的な平和協力活動を実施してきた。その中で、いわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用や「任務遂行のための武器使用」については、これを「国家又は国家に準ずる組織」に対して行った場合には、憲法第9条が禁ずる「武力の行使」に該当するおそれがあることから、国際的な平和協力活動に従事する自衛官の武器使用権限はいわゆる自己保存型と武器等防護に限定してきた。

 イ 我が国としては、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために一層取り組んでいく必要があり、そのために、国際連合平和維持活動(PKO)などの国際的な平和協力活動に十分かつ積極的に参加できることが重要である。また、自国領域内に所在する外国人の保護は、国際法上、当該領域国の義務であるが、多くの日本人が海外で活躍し、テロなどの緊急事態に巻き込まれる可能性がある中で、当該領域国の受入れ同意がある場合には、武器使用を伴う在外邦人の救出についても対応できるようにする必要がある。

 ウ 以上を踏まえ、我が国として、「国家又は国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場しないことを確保した上で、国際連合平和維持活動などの「武力の行使」を伴わない国際的な平和協力活動におけるいわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用及び「任務遂行のための武器使用」のほか、領域国の同意に基づく邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動ができるよう、以下の考え方を基本として、法整備を進めることとする。

 (ア)国際連合平和維持活動等については、PKO参加5原則の枠組みの下で、「当該活動が行われる地域の属する国の同意」及び「紛争当事者の当該活動が行われることについての同意」が必要とされており、受入れ同意をしている紛争当事者以外の「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる。このことは、過去20年以上にわたる我が国の国際連合平和維持活動等の経験からも裏付けられる。近年の国際連合平和維持活動において重要な任務と位置付けられている住民保護などの治安の維持を任務とする場合を含め、任務の遂行に際して、自己保存及び武器等防護を超える武器使用が見込まれる場合には、特に、その活動の性格上、紛争当事者の受入れ同意が安定的に維持されていることが必要である。

 (イ)自衛隊の部隊が、領域国政府の同意に基づき、当該領域国における邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動を行う場合には、領域国政府の同意が及ぶ範囲、すなわち、その領域において権力が維持されている範囲で活動することは当然であり、これは、その範囲においては「国家に準ずる組織」は存在していないということを意味する。

 (ウ)受入れ同意が安定的に維持されているかや領域国政府の同意が及ぶ範囲等については、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として判断する。

 (エ)なお、これらの活動における武器使用については、警察比例の原則に類似した厳格な比例原則が働くという内在的制約がある。

 3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置

 (1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

 (2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権憲法との関係」に明確に示されているところである。

 この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

 (3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

 我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。

 こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

 (4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

 (5)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。

 4 今後の国内法整備の進め方

 これらの活動を自衛隊が実施するに当たっては、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として決定を行うこととする。こうした手続を含めて、実際に自衛隊が活動を実施できるようにするためには、根拠となる国内法が必要となる。政府として、以上述べた基本方針の下、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする法案の作成作業を開始することとし、十分な検討を行い、準備ができ次第、国会に提出し、国会における御審議を頂くこととする。

(以上)




[Asahi]

集団的自衛権の容認―この暴挙を超えて
2014年7月2日(水)付
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 戦後日本が70年近くかけて築いてきた民主主義が、こうもあっさり踏みにじられるものか。

 安倍首相が検討を表明してからわずかひと月半。集団的自衛権の行使を認める閣議決定までの経緯を振り返ると、そう思わざるを得ない。

 法治国家としてとるべき憲法改正の手続きを省き、結論ありきの内輪の議論で押し切った過程は、目を疑うばかりだ。

解釈改憲そのもの

 「東アジアで抑止力を高めるには集団的自衛権を認めた方がいい」「PKOで他国軍を助けられないとは信じがたい」

 一連の議論のさなかで、欧米の識者や外交官から、こうした声を聞かされた。

 だが、日本国憲法には9条がある。戦争への反省から自らの軍備にはめてきたタガである。占領政策に由来するとはいえ、欧米の軍事常識からすれば、不合理な制約と映るのだろう。

 自衛隊がPKOなどで海外に出ていくようになり、国際社会からの要請との間で折り合いをつけるのが難しくなってきていることは否定しない。

 それでも日本は9条を維持してきた。「不戦の国」への自らの誓いであり、アジアの国々をはじめ国際社会への宣言でもあるからだ。「改めるべきだ」という声はあっても、それは多数にはなっていない。

 その大きな壁を、安倍政権は虚を突くように脇からすり抜けようとしている。

 9条と安全保障の現実との溝が、もはや放置できないほど深まったというなら、国民合意をつくった上で埋めていく。それが政治の役割だ。その手続きは憲法96条に明記されている。

 閣議決定は、「できない」と政府が繰り返してきたことを「できる」ことにする、クロをシロと言いくるめるような転換だ。まごうことなき「解釈改憲」である。

 憲法の基本原理の一つである平和主義の根幹を、一握りの政治家だけで曲げてしまっていいはずがない。日本政治にとって極めて危険な前例になる。

 自民党憲法改正草案とその解説には「公益及び公の秩序」が人権を制約することもありうると書いてある。多くの学者や法律家らが、個人の権利より国益が優先されることになると懸念する点だ。

 極端な解釈変更が許されるなら、基本的人権すら有名無実にされかねない。個人の多様な価値観を認め、権力を縛る憲法が、その本質を失う。

自衛隊送り出す覚悟

 安倍政権による安全保障政策の見直しや外交が、現実に即しているともいえない。

 日本がまず警戒しなければならないのは、核やミサイル開発を続ける北朝鮮の脅威だ。

 朝鮮半島有事を想定した米軍との連携は必要だとしても、有事を防ぐには韓国や中国との協調が欠かせない。しかし両国との関係が冷え切ったまま、この閣議決定がより厳しい対立を招くという矛盾。

 尖閣諸島周辺の緊張にしても、集団的自衛権は直接には関係しない。むしろ海上保安庁の権限を強めることが先との声が自衛隊の中にもあるのに、満足な議論はなされなかった。

 集団的自衛権の行使とは、他国への武力攻撃に対し自衛隊が武力で反撃することだ。

 それは、自衛隊が「自衛」隊ではなくなることを意味する。くしくもきのう創設60年を迎えたその歴史を通じても、最も大きな変化だ。

 自衛隊は日本を守るために戦う。海外で武力は使わない。そんな「日本の常識」を覆すに足る議論がなされたという納得感は、国民にはない。

 つまり、自衛隊員を海外の、殺し、殺されるという状況に送り込む覚悟が政治家にも国民にもできているとはいいがたい。

 それは、密室での与党協議ではなく、国会のオープンな議論と専門家らによる十分な論争、そして国民投票での了承をへることなしにはあり得ない。

 安倍政権はそこから逃げた。

 首相はきのうの記者会見でも、「国民の命を守るべき責任がある」と強調した。

 だが、責任があるからといって、憲法を実質的に変えてしまってもいいという理由にはならない。国民も、そこは見過ごすべきではない。

■9条は死んでいない

 解釈は変更されても、9条は憲法の中に生きている。閣議決定がされても、自衛隊法はじめ関連法の改正や新たな法制定がない限り、自衛隊に新たな任務を課すことはできない。

 議論の主舞台は、いまさらではあるが、国会に移る。ここでは与党協議で見られたような玉虫色の決着は許されない。

 この政権の暴挙を、はね返すことができるかどうか。

 国会論戦に臨む野党ばかりではない。草の根の異議申し立てやメディアも含めた、日本の民主主義そのものが、いま、ここから問われる。


[Yomiuri]
集団的自衛権 抑止力向上へ意義深い「容認」
2014年07月02日 01時39分
 日米防衛指針に適切に反映せよ

 米国など国際社会との連携を強化し、日本の平和と安全をより確かなものにするうえで、歴史的な意義があろう。

 政府が、集団的自衛権の行使を限定的に容認する新たな政府見解を閣議決定した。

 安倍首相は記者会見で、「平和国家としての歩みを、さらに力強いものにする。国民の命と暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制を整備する」と語った。

 行使容認に前向きな自民党と、慎重な公明党の立場は当初、隔たっていたが、両党が歩み寄り、合意に達したことを歓迎したい。

 ◆「解釈改憲」は的外れだ◆

 安倍首相が憲法解釈の変更に強い意欲を示し、最後まで揺るぎない姿勢を貫いたことが、困難な合意形成を実現させたと言える。

 公明党は、地方組織を含む党内調整に時間を要したが、責任ある結論を出せたのは連立政権の一翼を担った経験の賜物
たまもの
だろう。

 政府見解は、密接な関係にある国が攻撃され、日本国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、必要最小限度の実力行使が許容されると記した。

 集団的自衛権は「保有するが、行使できない」とされてきた。その行使容認に転じたことは、長年の安全保障上の課題を克服したという意味で画期的である。

 今回の政府見解には明記されていないが、米艦防護、機雷除去、ミサイル防衛など、政府が集団的自衛権を適用すべきとした8事例すべてに対応できるとされる。

 国連決議による集団安全保障に基づく掃海などを可能にする余地を残したことも評価できる。行使の範囲を狭めすぎれば、自衛隊の活動が制約され、憲法解釈変更の意義が損なわれてしまう。

 新解釈は、1972年の政府見解の根幹を踏襲し、過去の解釈との論理的整合性を維持しており、合理的な範囲内の変更である。

 本来は憲法改正すべき内容なのに、解釈変更で対応する「解釈改憲」とは本質的に異なる。むしろ、国会対策上などの理由で過度に抑制的だった従来の憲法解釈を、より適正化したと言えよう。

 今回の解釈変更は、内閣が持つ公権的解釈権に基づく。国会は今後、関連法案審議や、自衛権発動時の承認という形で関与する。司法も違憲立法審査権を有する。

 いずれも憲法三権分立に沿った対応であり、「立憲主義に反する」との批判は理解し難い。

 「戦争への道を開く」といった左翼・リベラル勢力による情緒的な扇動も見当違いだ。自国の防衛と無関係に、他の国を守るわけではない。イラク戦争のような例は完全に排除されている。

 ◆自衛隊恒久法の検討を◆

 政府見解では、自衛隊の国際平和協力活動も拡充した。

 憲法の禁じる「武力行使との一体化」の対象を「戦闘現場における活動」などに限定した。「駆けつけ警護」や任務遂行目的の武器使用も可能にしている。

 自衛隊による他国部隊への補給・輸送・医療支援や、国連平和維持活動(PKO)で、より実効性ある活動が期待できよう。

 武装集団による離島占拠などグレーゾーン事態の対処では、自衛隊海上警備行動などの手続きを迅速化することになった。

 さらに、平時から有事へ「切れ目のない活動」を行うため、自衛隊に領域警備任務などを付与することも検討してはどうか。

 政府・与党は秋の臨時国会から自衛隊法、武力攻撃事態法の改正など、関連法の整備を開始する。様々な事態に柔軟に対応できる仕組みにすることが大切だ。

 PKOに限定せず、自衛隊の海外派遣全体に関する恒久法を制定することも検討に値しよう。

 日米両政府は年末に、日米防衛協力の指針(ガイドライン)を改定する予定だ。集団的自衛権の行使容認や「武力行使との一体化」の見直しを、指針にきちんと反映させなければならない。

 ◆国民の理解を広げたい◆

 自衛隊の対米支援を拡大する一方、離島など日本防衛への米軍の関与を強め、双方向で防衛協力を深化させたい。新たな指針に基づく有事の計画策定や共同訓練を重ねることが、日米同盟を強化し、抑止力を高めていく。

 集団的自衛権の行使容認は、与党のほか、日本維新の会みんなの党や、さらに民主党の一部も賛成している。民主党執行部は、解釈変更を批判しながら、行使容認の是非は決め切れていない。

 安倍首相は今後、国会の閉会中審査などの機会を利用し、行使容認の意義を説明して、国民の理解を広げる努力を尽くすべきだ。

2014年07月02日 01時39分 Copyright © The Yomiuri Shimbun


[Sankei]
【主張】
集団的自衛権容認 「助け合えぬ国」に決別を
2014.7.2 03:22 (1/4ページ)[主張]
 ■日米指針と法整備へ対応急げ

 戦後日本の国の守りが、ようやくあるべき国家の姿に近づいたといえよう。

 政府が集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を閣議決定した。日米同盟の絆を強め、抑止力が十分働くようにする。そのことにより、日本の平和と安全を確保する決意を示したものでもある。

 自公両党が高い壁を乗り越えたというだけではない。長年政権を担いながら、自民党がやり残してきた懸案を解決した。その意義は極めて大きい。

 《抑止力が平和の手段だ》

 安倍晋三首相は会見で、「いかなる事態でも国民の命と平和な暮らしを守る」と重ねて表明した。行使容認を政権の重要課題と位置付け、大きく前進させた手腕を高く評価したい。

 閣議決定は、自国が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権の行使を容認するための条件を定めた。さらに、有事に至らない「グレーゾーン事態」への対応、他国軍への後方支援の拡大を含む安全保障法制を見直す方針もうたった。

 一連の安全保障改革で、日本はどう変わるのか。

 安倍首相が説明するように、今回の改革でも、日本がイラク戦争湾岸戦争での戦闘に参加することはない。だが、自衛隊が国外での武器使用や戦闘に直面する可能性はある。

 自衛隊がより厳しい活動領域に踏み込むことも意味すると考えておかねばならない。どの国でも負うリスクといえる。積極的平和主義の下で、日本が平和構築に一層取り組もうとする観点からも、避けられない。

 反対意見には、行使容認を「戦争への道」と結び付けたものも多かったが、これはおかしい。厳しい安全保障環境に目をつむり、抑止力が働かない現状を放置することはできない。

 仲間の国と助け合う態勢をとって抑止力を高めることこそ、平和の確保に重要である。行使容認への国民の理解は不十分であり、政府与党には引き続き、その意義と必要性を丁寧に説明することが求められる。

 重要なのは、今回の閣議決定に基づき、自衛隊の活動範囲や武器使用権限などを定めるなど、新たな安全保障法制の具体化を実現することだ。

 関連法の整備は、解釈変更を肉付けし、具体化するために欠かせないものだ。政府は法案の提出時期を明確にしていないが、集団的自衛権への国民の理解を深めるためにも、できるだけ早く提出し、成立を目指してほしい。

 自衛隊員は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」ると宣誓しているが、今後、さらに厳しい任務が増すだろう。合意に際してつけられた多くの条件、制限が過剰になって自衛隊の手足を縛り、その機能を損なうものとしてはならない。

 《9条改正の必要は不変》

 憲法解釈の変更という行使容認の方法について「憲法改正を避けた」という批判もある。だが、国家が当然に保有している自衛権について、従来の解釈を曖昧にしてきたことが問題なのであり、それを正すのは当然である。

 同時に、今回解釈を変更したからといって、憲法改正の核心である9条改正の必要性が減じることはいささかもない。自衛権とともに、国を守る軍について憲法上、明確に位置付けておくべきだ。安全保障政策上の最重要課題として、引き続き実行に移さなければならない。

 すでに時期の迫ったものとして、今回の改革を日米両政府が年末に改定する日米防衛協力の指針(ガイドライン)に反映させる課題がある。朝鮮半島有事への備えに加え、南西諸島防衛など中国にも対処できる内容にどれだけ変えられるかが焦点となる。

 新ガイドラインを通じて日米協力の実をあげ、米国との絆を強めることは、同盟の抑止力を高める上で現実的な方策だ。

 考えるべきことは、ガイドラインや法案の内容にとどまらない。日本が生き残っていくうえで必要な安全保障政策とは何か。アジア太平洋地域の安定を含め、日本は国際平和をどう実現していくべきなのか。

 政治家も国民も共に考え、日本がより主体性をもって判断すべき時代を迎えた。


[Mainichi]

 第一次世界大戦の開戦から今月で100年。欧州列強間の戦争に、日本は日英同盟を根拠にした英国の要請に応じて参戦した。中国にあるドイツ権益を奪い、対中侵略の端緒としたのである。

 その後の歴史は、一続きの流れの中だ。資源確保のため南部仏印に進駐し、対日石油禁輸で自暴自棄になった日本は、太平洋戦争に突入する。開戦の詔書には、「自存自衛のため」とあった。

 集団的自衛権を行使可能にする憲法解釈の変更が、閣議決定された。行使の条件には「明白な危険」などと並び、「我が国の存立」という言葉が2度、出てくる。

 いかようにでも解釈できる言葉である。遠い地の戦争での米国の軍事的劣勢も、イラクなど中東情勢の混乱も、日米同盟の威信低下や国際秩序の揺らぎが「我が国の存立」にかかわると、時の政権は考えるかもしれない。

 「国の存立」が自在に解釈され、その名の下に他国の戦争への参加を正当化することは、あってはならない。同盟の約束から参戦し、「自存自衛」を叫んで滅んだ大正、昭和の戦争の過ちを、繰り返すことになるからだ。

 むろん、歴史は同じように歩みはしない。あの戦争は国際的孤立の果てであり、今は日米同盟が基盤にある。孤立を避け、米国に「見捨てられないため」に集団的自衛権を行使するのだと、政府の関係者は説明してきた。

 だがそれは、米国の要請に応じることで「国の存立」を全うする、という道につながる。日本を「普通の国」にするのではなく、米国の安全と日本の安全を密接不可分とする「特別な関係」の国にすることを意味しよう。

 米国と「特別な関係」と呼ばれるのは英国だ。

 その英国は、イラク戦争参戦の傷が癒えず、政治指導者の責任追及の声がやまない。イラク戦争を支持した反省と総括もないまま、米国に「見捨てられないため」集団的自衛権を行使するという日本の政治に、米国の間違った戦争とは一線を画す自制を望むことは、困難である。

 ならばこそ、シビリアンコントロール文民統制)の本来のあり方を、考え直すことが必要ではないか。

 文民統制は、軍の暴走を防ぐため政治や行政の優位を定めた近代民主国家の原則だ。だが、政治もしばしば暴走する。それを抑え、自制を課してきたのが憲法9条の縛りだった。縛りが外れた文民統制は、ただの政治家、官僚による統制にすぎない。

 閣議決定で行使を容認したのは、国民の権利としての集団的自衛権であって、政治家や官僚の権利ではない。歯止めをかけるのも、国民だ。私たちの民主主義が試されるのはこれからである。


[Tokyo]

9条破棄に等しい暴挙 集団的自衛権容認

2014年7月2日
 政府がきのう閣議決定した「集団的自衛権の行使」容認は、海外での武力の行使を禁じた憲法九条を破棄するに等しい。憲政史上に汚点を残す暴挙だ。
 再登板後の安倍晋三首相は、安全保障政策の抜本的な転換を進めてきた。政府の憲法解釈を変更する今回の閣議決定は一つの到達点なのだろう。
 特に、国会の「ねじれ」状態解消後の動きは速かった。
 昨年暮れには、外交・安保に関する首相官邸の司令塔機能を強化する国家安全保障会議を設置し、特定秘密保護法も成立させた。外交・安保の基本方針を示す国家安全保障戦略も初めて策定した。
◆軍事的な役割を拡大
 今年に入って、原則禁じてきた武器輸出を一転拡大する新しい三原則を決定。今回の閣議決定を経て、年内には「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)も見直され、自衛隊と米軍の新しい役割分担に合意する段取りだ。
 安倍内閣は安保政策見直しの背景に、中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発などアジア・太平洋地域の情勢変化を挙げる。
 しかし、それ以上に、憲法改正を目標に掲げ、「強い日本」を目指す首相の意向が強く働いていることは否定できない。
 安保政策見直しは、いずれも自衛隊の軍事的役割と活動領域の拡大につながっている。
 その先にあるのは、憲法九条の下、必要最小限度の実力しか持たず、通常の「軍隊」とは違うとされてきた自衛隊の「国軍」化であり、違憲とされてきた「海外での武力の行使」の拡大だろう。
 一連の動きは、いずれ実現を目指す憲法改正を先取りし、自衛隊活動に厳しい制限を課してきた九条を骨抜きにするものだ。このことが見過ごされてはならない。
◆現実感が乏しい議論
 安保政策見直しが、日本の平和と安全を守り、国民の命や暮らしを守るために必要不可欠なら、国民の「理解」も進んだはずだが、そうなっていないのが現実だ。
 共同通信社が六月下旬に実施した全国電世論調査では「集団的自衛権の行使」容認への反対は55・4%と半数を超えている。無視し得ない数字である。
 政府・与党内の議論が大詰めになっても国民の胸にすとんと落ちないのは、議論自体に現実感が乏しかったからではないか。
 象徴的なのは、政府が集団的自衛権の行使などが必要な例として挙げた十五事例である。
 首相がきのうの記者会見で重ねて例示した、紛争地から避難する邦人を輸送する米艦艇の防護は、当初から現実離れした極端な例と指摘され、米国に向かう弾道ミサイルは迎撃しようにも、撃ち落とす能力がそもそもない。
 自民、公明両党だけの「密室」協議では、こうした事例の現実性は結局、問われず、「海外での武力の行使」を認める「解釈改憲」の技法だけが話し合われた。
 政府の憲法解釈を変える「結論ありき」であり、与党協議も十五事例も、そのための舞台装置や小道具にすぎなかったのだ。
 政府自身が憲法違反としてきた集団的自衛権の行使や、海外での武力の行使を一転して認めることは、先の大戦の反省に立った専守防衛政策の抜本的な見直しだ。
 正規の改正手続きを経て、国民に判断を委ねるのならまだしも、一内閣の解釈変更で行われたことは、憲法によって権力を縛る立憲主義の否定にほかならない。
 繰り返し指摘してきた通りではあるが、それを阻止できなかったことには、忸怩(じくじ)たる思いがある。
 ただ、安倍内閣による安保政策見直しの動きが、外交・防衛問題をわたしたち国民自身の問題としてとらえる機会になったことは、前向きに受け止めたい。
 終戦から七十年近くがたって、戦争経験世代は少数派になった。戦争の悲惨さや教訓を受け継ぐのは、容易な作業ではない。
 その中で例えば、首相官邸前をはじめ全国で多くの人たちが集団的自衛権の行使容認に抗議し、若い人たちの参加も少なくない。
 抗議活動に直接は参加しなくても、戦争や日本の進むべき道について深く考えることが、政権の暴走を防ぎ、わたしたち自身の命や暮らしを守ることになる。
◆国会は気概を見せよ
 自衛隊が実際に海外で武力が行使できるようになるには法整備が必要だ。早ければ秋に召集予定の臨時国会に法案が提出される。
 そのときこそ国権の最高機関たる国会の出番である。政府に唯々諾々と従うだけの国会なら存在意義はない。与党、野党にかかわらず、国会無視の「解釈改憲」には抵抗する気概を見せてほしい。
 その議員を選ぶのは、わたしたち有権者自身である。閣議決定を機に、あらためて確認したい。


[Akahata]
9条覆す閣議決定

この歴史的暴挙、国民は許さず


 安倍晋三内閣は、自衛隊発足以来60年にわたり憲法上許されないとしてきた集団的自衛権行使に関する政府解釈をひっくり返し、行使は可能とする閣議決定を強行しました。国民的な議論も、国会でのまともな審議もなく、一片の「閣議決定」なるものでクーデター的に政府解釈を覆し、憲法9条を破壊する空前の歴史的暴挙であり、満身の怒りをもって抗議します。

世界も受け入れない

 閣議決定が国民の意思に反するのは、直近の世論調査から明確です。憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に過半数が反対しています(「毎日」6月29日付=「反対」58%、「賛成」32%、「日経」30日付=「反対」54%、「賛成」29%)。民意を無視した安倍・自公政権の責任は極めて重大です。

 安倍・自公政権は、これまで政府が集団的自衛権憲法解釈の関係についてとってきた見解をいま一度銘記すべきです。

 政府は従来、「憲法について見解が対立する問題があれば…正面から憲法改正を議論することにより解決を図ろうとするのが筋」としてきました。「解釈変更の手段が便宜的、意図的に用いられるならば…解釈に関する紛議がその後も尾を引くおそれがあり、政府の憲法解釈、ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれることが懸念される」という理由からです(2004年2月27日、参院本会議、小泉純一郎首相)。

 今回の閣議決定は、過去の政府見解に真っ向から反し、集団的自衛権行使容認ありきの「便宜的、意図的」な憲法解釈の変更そのものです。「紛議がその後も尾を引く」ことは間違いなく、「政府の憲法解釈、ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれる」ことは避けられません。憲法で権力を縛る立憲主義を乱暴に踏みにじった安倍政権のあまりにずさんな「憲法解釈」が行き詰まりに直面するのは明らかです。

 閣議決定は、日本が武力攻撃を受けていなくても、海外での武力紛争の発生により「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」に集団的自衛権の行使ができるとしています。「脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている」というのが口実です。政府の一存で「明白な危険」があると認定すれば、自衛隊は「世界のどの地域」へも出兵し、武力の行使ができるようになります。

 閣議決定は、こうした武力行使を「我が国の存立を全う」するための「やむを得ない自衛の措置」だとしています。かつて日本軍国主義が「自存自衛」のためとしてアジア太平洋全域への侵略戦争に突き進んでいったことをほうふつとさせます。軍国主義復活という安倍政権の野望は、世界でも、アジアでも、日本でも、受け入れられないことは明らかです。

矛盾深めるのは必至

 閣議決定はやり方の点でも、内容の点でも、抜き差しならない重大な問題を抱えており、今後、自衛隊を動かすための具体化、立法化にあたり矛盾を深めるのは必至です。閣議決定を前後して数万人の怒りの抗議行動が首相官邸を取り囲んでいます。国民的な反撃へ、世論と運動をもっともっと大規模に広げることが急務です。


[Nikkei]
助け合いで安全保障を固める道へ
社説
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2014/7/2付

 大国の力関係が変わるとき、紛争を封じ込めてきた重しが外れ、世界の安定が揺らぎやすくなる。歴史が物語る教訓だ。いまの世界は、まさにそうだろう。平和を保つために日本は何ができるか。問い直すときにきている。

 安倍政権は政府の憲法解釈を変え、禁じられてきた集団的自衛権の行使をできるようにした。戦後の日本の安全保障政策を、大きく転換する決定である。

衰える米国の警察力
 一部からは「海外での戦争に日本が巻き込まれかねない」といった不安も聞かれる。しかし、日本、そしてアジアの安定を守り、戦争を防いでいくうえで、今回の決定は適切といえる。国際環境が大きく変わり、いまの体制では域内の秩序を保ちきれなくなっているからだ。

 自国が攻撃されなければ、決して武力を行使しない。親しい国が攻撃され、助けを求めてきても応戦しない。日本は戦後、こんな路線を貫いてきた。

 これで平和を享受できたのは、同盟国である米国が突出した経済力と軍事力を持ち「世界の警察」を任じてきたことが大きい。日本の役割は米軍に基地を提供し、後方支援をするにとどまっていた。

 ところが、この仕組みは金属疲労を起こしている。中国や他の新興国が台頭し、米国の影響力が弱まるなか、米国だけでは世界の警察役を担いきれなくなっているからだ。

 すでに経済ではこの変化は明白だ。世界の国内総生産(GDP)に占める主要7カ国(G7)の割合は、2000年の66%から13年には47%に落ちた。米国は日欧と組んでも、世界の経済運営を主導するのが難しい。

 軍事力ではなお、米国の力がずぬけているが、中国の軍拡によって、東シナ海南シナ海での米軍の絶対優位も崩れようとしている。米中の国防費が30年に逆転するとの予測もある。

 米国の影響力の衰えを見計らったように、中国はアジアの海洋で強気な行動に出ている。北朝鮮が国連制裁を無視し、核やミサイルの開発を続けるのも、米国の威信の弱まりと無縁ではない。

 だとすれば、米国の警察力が弱まった分だけ、他国がその役割を補い、平和を守るしかない。

 米国の同盟国や友好国である日本や韓国、オーストラリア、インド、東南アジアなどの国々が手を携え、アジア太平洋に安全保障の協力網をつくる。この枠組みを足場に中国と向き合い、協調を探っていく――。

 日本は米国と一緒にこんな構想を進め、他国と助け合い、平和を支える道を歩むときだ。そのためにも、集団的自衛権を使えるようにしておく必要がある。

 世界では、サイバーやテロ組織による攻撃など、あっという間に国境を越える脅威も広がる。その意味でも、一国平和主義の発想は通用しなくなった。今回の決定はこうした流れに沿ったものだ。

 だからといって、安倍政権の議論の運び方に問題がなかったわけではない。まず、集団的自衛権の行使を認める閣議決定を、ここまで急ぐべきだったのか疑問だ。

 政府は行使の要件について「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合などと定めた。慎重派の公明党との妥協を急ぐあまり、「過度に、制約が多い内容になってしまった」との批判がある。

行使基準もっと熟議を
 さらに、実際の行使に当たり、「何を、どこまで認めるのか」といった事例ごとの議論は、ほとんど深まらなかった。これでは有権者の理解を得られないばかりか、不安が広がりかねない。公明党が難色を示し、先送りされた国連の集団安全保障への対応についても、検討を急ぐべきだ。

 政府・与党は近く、行使の具体的な基準や歯止めを定める法律の整備にとりかかる。肝心なのは細部だ。抽象論ではなく具体的な事例を明示し、一般の有権者に分かるよう熟議を重ねてほしい。

 この問題は10年、20年先の日本の行方も左右するテーマだ。政権が交代するたびに路線が変わるようなことは、あってはならない。与党は超党派の合意を得られるよう努力すべきだ。野党にも党利党略を離れた議論を求めたい。

 そのうえで強調したいのは、他国との対立を外交力で解決することの大切さだ。集団的自衛権の行使に至らないようにする努力こそが肝心だ。日本と中韓との関係は対立が続いている。安倍政権は今こそ言葉だけでなく、緊張を和らげるための行動をとってほしい。