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建設を決めた時の社長は大塚周一。最高執行責任者(COO)を務めた半導体大手エルピーダメモリ(12年に経営破綻(はたん))を退職後、初代社長に就いた。当時は能美工場(石川県能美市)や茂原工場(千葉県茂原市)でもアップル向けパネルを製造しており、JDIの生産能力はすでに過剰気味だった。ある幹部は「営業は白山工場の建設に反対したが、大塚は『もう決まったこと』と建設を押し通した」と証言する。

操業再開のめど立たず
 白山工場の建設が決まった直後、大塚は白山市長の山田憲昭に「この工場で今の売上高8千億円を2兆円に増やす基礎ができる」と説明した。だが、売上高は白山工場の稼働前の15年度(9891億円)をピークに下がり続け、18年度は6366億円に落ち込んだ。

 白山工場の建設を主導したのは経済産業省所管の官民ファンド、産業革新機構(現INCJ)執行役員の谷山浩一郎とされる。谷山は、発足段階からかかわるJDIの社外取締役を兼ねていた。

 「谷山がJDIに深く入り込み、大塚は谷山の言いなりだった。経産省も機構も、谷山に『好きにやって』という感じだった」と元役員。別の元役員は「谷山は、右肩上がりの絵を描かないと電子産業は成り立たないとおまじないのように思っていた」と話す。